ソーシャルワークについては、こちらのページで、連載しています:)
http://bit.ly/2rVs92T
アラキ的に、様々な活動を通して、どこから足下を考えるかって事がスタートになり、当面の、通過点としてのゴールはあるものの、ほとんどの場合、100年後を想像しながら、動いています:)つまり、アラキの出来る事なんて、ほとんど無いのです^^;今その時点で何が大切とされていて、何が必要とされているのかと言うことを、空間と時間軸の両方に、それぞれの空間と時間をぶつけ合いながらというか、重なり合いながら、どんな角度が生まれて、どんな次元が顔を出すのかって事だと思うのです:)
と、考えて行くと、誰でもが生きているという事がすでに、社会参加している大切な1人1人と言う事になるのなかと思うのです。自分を粗末にすると、社会を粗末にするという事に、直結しているって事にもなるのかなと思うのです:)と、言うことは、自分を大切にする事が出来れば、世界は自ずと変化していくのではないかなと:)それは、エゴとして大切にすると言うことではなく、地球から生きる環境を頂いているって感覚から来る、感謝という言葉に代表される事から、わき上がる気持ちなのかなと:)抽象的概念なのですが、抽象的でいいのだとも思うのです:)
世界が、どこへ向かって進んでいるのかって事は、つまり、今ここに生きている自分がどこへ向かっていこうとしているのかって事と重なってくるのかなと:)つまり、生きているだけで、社会参加が出来ているなら、今ここで生きている自分の生きる先が、そのまま、世界の向かう未来へとつながっていると言うことになるのかなという事です:)
このとき、自分を大切にする事が出来ない、他人を傷つけるという事、物理的にも精神的にも。そして、権力で何事も解決出来ると考えている方達も、その中に含まれてくるのですが、軌道修正はいくらでも可能だとアラキは信じています。自分達が見ている1人1人の世界が違って当然である事を前提にするのですが、その違う世界を共有しながら、様々な世界があっても不安ではないと言うことさえ理解する事が出来れば、安心して、さらに建設的な社会参加が世界中で起きると思うのです:)
絵空事の様な話しに聞こえるかも知れませんが、アラキはそう信じて、今、自分の出来るかぎりを限られた時間の中で、やりきる事ができればいいなと思うのでした:)全てが、今ここにあり、その全ては、全ての全てを包括しながら、変化して、成長を続ける全てであると言うことです:)
時間と共に変化しているのは、時系列ではなくて、空間そのものであるという事が少しでも意識のどこかにあれば、もう少し世界に余裕が生まれてくるのだとおもうのです:)それは、未来へ地球を送り届ける我々の生きると言うことへの責任の所在となるものだとも考えています:)
とは、いいながら、現実から眼を背けると言うことではないので、それはそれとして、受け止め、受け入れながら、精一杯、気合・気愛で555!!!なのでした:)
気合・気愛で555!!!
アラキ:)