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SocialWork  10

若い世代が社会参加する為にはいろいろな環境的な条件や、それに伴い、社会全体の経済的状況、国際的に置かれている状況等、大きな枠組がどれだけ許容範囲があり、余裕があるかないかで、全く違う世界へと変貌して行くと考えています。日本的に言うところのアルバイトや、ボランティア活動、各種イベントへの参加や企画、外部団体との連携や活動のサポートなど、受け入れ先と経済状況で、ともすると、若い世代を精神的にも肉体的にも消耗させて、社会への失望感を経験させてしまう・・・なんて事が起きかねない状況だと、未来へ対する希望という無限に広がる可能性が狭められていくというか・・・残念な事になってしまうと思うのです。

日本は、残念ながら自殺大国の1つとして、数えられています。自分で自分の命を落とすという、悲しい現実が毎日どこかで起きているのが、現在の日本の現実です。このような、悲しい出来事が起きてしまう日本という国に我々は生きているという現実を突きつけられているのです。国を代表する公の立場の方達の間では、あまり意識されていないかもしれません。もちろん、様々な方達が公の立場で踏ん張っていることも知っています。その、バランスが少し悪くなっているんだろうなって、理解して頂けると幸いです。また、悲しい現実が起きている事は、もう少し、突っ込んでみると、人としての尊厳や、人権に関わる最も重要な出来事だと思うのですが、そういう部分には、あまり光が当てられないのです。経済が成長する事は大切な事です。しかし、その影で、多くの方達が、自分で自分の命を絶ち、そして、その事があまり注目されるず、見て見ぬふりをする社会の中で、言葉とイメージだけが先行しているような・・・

我々がどのような視点で社会を見つめて行くのかと言うとき、このような現実を人々に提供している国の政策の中で、我々は生かされていると言う感覚になれるかどうかということが、実はこれからの世界では、非常に大切な、自分への問いの1つになるのではないかなと、アラキは考えています。社会全体へ対して、1人では何もできないと諦めるのではなく、貴方がいてくれるからこそ、今、この社会が生きていて、貴方がいてくれるからこそ、我々は、いろいろな気づきを共有する事ができ、相互的な関わりの中で、共に成長しているんだという事をもっと、意識していいだろうし、そうする事で、悲しい現実は減るのだと思うのです。

責任の所在を求める報道や、個人に責任を負わせて、それで出来事に終止符をうち、無かった事にするみたいな動きが、世界中で蔓延しているかのような気がします。つまり、矛先や、現実問題から、話題、課題をそらし、別の事で、解決したかのように錯覚を起こし、また、次の出来事が語られ、結局の所、何も課題は解決されず、本題の課題に関しては、さらに深刻さを増して行く・・・これでは、誰も幸せにはなれないと思うのです。

若い世代が、何度も失敗しながらも、そこから何を学ぶのかって事を大人がしっかりとサポートして、未来を担う大人として育て上げるというか、共に成長していくみたいな関係を日々続けて、子ども達が笑って過ごせる、そして、大人達も笑ってそれを見守る事ができる、そんな未来を送り届ける事ができるといいなと思うのでした:)

今ここで出来る事、出来ている事、それぞれみんなに、たくさんあると思うのです:)何も出来ていない人は、世の中に存在していないと思うのです:)だからこそ、今一度、自分の人生によりそって、生きたいと思ったりするのでした:)


20190716TUE@KTM 吉日

SocialWork  9

社会参加への取り組みについて、様々な視点、角度からアプローチをしては、トライアンドエラーというか、なかなか一筋縄ではいかないのがあたりまえなのですが、以外と身近な所に壁が存在したりします。動きながら状況を観察して、今ここで、生きている方達との関わりの中から、それらが浮き彫りになってきたりするのです。つまり、はっと、気づかされる瞬間に出会ってしまうというか・・・多くの場合、そのコミュニティーに存在している、無意識のルールというか、住んでいる方達の多くが気づいていない、気づいていても、誰もその事に触れないので、黙っているとか・・・そんな、眼に見えない暗黙のルールが根強くコミュニティーに根を下ろしていたなら、それは、なかなか手強い壁の1つとして立ちはだかるのです。

アラキの経験の中でも、人種差別という、暗黙のルールというか、それが日常的で、当たり前だから、それに意義を申し立てるなんて事は、そこに住んでいる方達には、想像もつかない世界だったりするのです。その枠組の中でコミュニティーは一応機能していきます。しかし、外からみて、中に入ってみて、さらに中から外をみてと、肌身で感じる世界観はかなり歪なものとして伝わってきます。コミュニティ全体が、差別を前提とした行政区画として整備が続けられていたりもしています。例えば、こちらの道路以外は、差別される側の方達は歩いてはいけない、つまり、使用を禁止されている・・・そんな具合なので、差別される対象の方達と、差別をしている方達とが、街の中で、はっきりと分かれていて、行政が成立しているのです・・・これには、本当に驚きました。アラキは、そのコミュニティでは、差別される側の方に属するので、知らずに差別する側の方達の道路を歩いていて、注意され、差別される側の方達の道路の方へと、移動させられました。その後、そのコミュニティの若い男の子が話しかけてきて、詳しく話を聞かせてくれました。

何をもって、優位性を決めているのか、決められているのか、そして、その発想は、どこからやってきて、どのように社会に組み込まれていったのか、謎な事が多いのですが、支配する側と、支配される側という構図から、小さな差別が至るところで起きているということでしょうか?おそらくは、支配する側の方達は、かなり少数であり、支配される側は、圧倒的大多数の方達なのだと思います。その事が、明確な差別の入り口というか、きっかけになっているような気がします。

確かに、地球上で生きて行く中で、不安ではない状況を少しでも多く取り入れながら、生き抜いて行かなければならない我々は、不安材料を遠ざける傾向はあるのだと思います。その事を利用して、人々を支配したり、社会をコントロールしたり・・・そうやって、人々の心の中に少しずつ、差別という概念を植え付けているとしか、思えないアラキなのです。

社会参加のあり方は、人の数だけ参加の仕方があり、それぞれが響き合いながら、世界を支えていると思うのです。自分達の身のまわりに潜んでいる、小さな差別を意識する事が出来た瞬間から、わずかな希望の光は、少しずつ集まって行き、束となり、明確な意志を持って、動き出すのだと思うのでした:)

難しい事なのかもしれませんが、今生きているわれわは、すでに地球に生きているという事実を受け入れながら、一生努力し続けるしかないんだろうなと^^;だから、人生は、旅であり、終わりがないんだろなって勝手に思うアラキなのでした:)

差別と誤解のない世の中を想像しながら、今、ここで生き、そして出来る事をやる:)そんなおもいを忘れずにいたいと思うのでした。


20190715MON@KTM 吉日

SocialWork  8


何かをとらえる時の視点のあり方について、いろいろ考えさせらる事があります。例えば、子ども達を巡って、それぞれの立場からの意見が出されるなんて事は多々起きている現実なのですが、意見が対立して、何も進まないなんて事に陥ってしまう。せっかく共有されている時間が、それぞれに負の扱いとなり、子ども達の事での時間のはずが、対立関係を互いに深める負の時間になってしまって、残念で、もったいなって思うのでした。

そんな時に少しだけ視点を変えて、今起きている事をどのように認識するかっていう視点で改めて客観的な提案をしてみると、互いに視野が広がり、別の気持ちがわき上がるきっかけになる可能性を秘めているとアラキは考えています:)相対するものがあるからこそ、自分の意見が明確になり、相手との相違点が明確になるのであれば、その隙間を埋める、他の視点を検討するすることで見えて来る新たな価値観の創造というか、そんな期待をする事は、建設的な時間の共有につながると思うのです。つまり、今ここで起きている、共有されている時間から、未来へ連なる確かな一歩を共に得る為の瞬間であり、それは、必要としている方達の人生における財産になりうる、大切なきっかけでもあるということです:)

そう考えると、随分と時間の無駄をしているかもしれないなって思えてきたりするのです・・・確かに、人生に無駄な時間は存在しないとは思うのですが、少しだけ、別の視点から、今の動きを見つめてみて、第三者的に、客観的に、見つめる努力は、した方がいいかなと思うのです。それだけで、随分と状況は変化して行くと思うのです。つまり関係性が変化していくということです。その取り組みが、正解なのか、それとも不正解なのかと問われると、答えようがないのですが、様々な角度から検討する努力を共にしたのであれば、それは、充実した取り組みの土台を精神的に支えてくれる事にもなると思うのです:)

自分達の足下を見つめる事は、自分達の全体にも気を配る事であり、自分自身の人生においても、学び多き、貴重な時間を過ごす事につながり、自分に関わる方達の、その先にある方達へも、関係性が響いて行くのではないかなと思うのです:)

確かに現実は、忙しいのかもしれませんが、それは当たり前だと思います:)だから、その中で、さらに視野を広げる意志、意識を持ち、ほんの少しの瞬間、自分のから距離を置いた所から、客観的に自分のあり方を見つめ直し、再検討する:)そんな、時間をいつも意識的に持てるといいなと思うアラキです:)

もう一つ突っ込んだ言い方をすると、相手が言ったことで、自分が不思議だなって思った時、その不思議に思うという自分の気持ちがどこから生まれてきているのかって事を、探してみる^^;それだけで、客観的になれるかなと思うのでした:)

いろいろ思い当たる所のあるアラキです^^;アラキ自身、常に実践できたらと思います:)


20190714SUN@KTM 吉日

SocialWork  7

アラキのソーシャルワークの具体的な取り組みの中で、その取り組みの先々をさえぎるかの様な出来事が次々に起きた事がありました。ある、取り組みの手伝いを頼まれて、いろいろとやっていたのですが、本体のファンデーションのメンバーが善意という行為、つまりローカルなコミュニティーの力を利用した取り組みに対して、全てお金で解決出来ることは、お金で解決していまうという方法で、先回りして、取り組みが最終的には崩壊していったという現実が起きてしまいました・・・現地の方達も、困惑してしまい、いつもサポートしてくれる方達が、お金の力でいろいろと手を尽くしてくれるのですが、コミュニティーの成長の手助けにはならなかったのです。つまり、現地の方達のコミュニティーの成長があって初めて、課題解決の為のローカルな力が蘇るきっかけになる可能性を得る事ができるのですが、その成長のきっかけを、お金が奪う事になってしまったのです。お金は大切なのですが、使い方や、どこへどう分配して行くのかなど、使い道とタイミングがポイントだと思うのです。

アラキの経験の中で、起きた事は、現地の現実を知らないサポートしてくれる外国の方達が、その方達のイメージの中で、もしくは、外部の枠組を現地の現実を無視して、自分達の価値観と枠組を当てはめようとして起きた、不幸な出来事なのだと思うのです。

与える事が、全てを解決する方策ではないということです。今ここで生きているをどのように成長させていくのかという課題に、常に向かいあいながら、時間をかけて、自分達の生きるを未来へとつなげていく:)そんな取り組みがこれからはさらに大切になって行くと思うのです:)

しかし、まだまだ、与える事で、与える側の自己満足や、与えられる方達も頼ればなんとかなると、甘えてしまうということがおきてしまい、残念な現実が未来に待っていると思うのです。

厳しい現実が多々ある中、注意深く、どこに焦点を絞って、さらに、今ここで生きている方達の何が課題であり、その課題に向きあえるようになるまでの間、どのぐらいの時間が必要で、向き合ってから、どのぐらいの時間がさらに必要なのかって事を、少しでも日常の中で、自分達の生きるの中で、それぞれが個人的に、意識するだけで、意識出る方達が増えるだけでも、様々な現実課題は良き方向へ、つまり、個人の、そしてコミュニティーの成長へとつながるのかと思うのでした:)

アラキが経験した出来事のその後は、それは、それで、起きてしまった事なので、それをたたき台に、さらに次への取り組みとして、軌道修正しながら、現在も関わりを持たせてもらいながら、現地の方達と地道に取り組みを継続しています:)おそらくライフワークになるので、一生続くのだと思います:)

短時間で、そして、お金や権力だけでは、主題となる課題の解決の一翼は担うかもしれませんが、それだけでは、未来をつかむ事ができないという事を肝に銘じています。もちろん、緊急性の高い事柄もあるので、全てはないのですが、日常の中で、アラキが関わる事が出来る課題の大抵は、時間がひつような事が多いのです。

もう少しつけくわえると、与える事と、成長を促すきっけを作り続ける事とのせめぎ合いだなと。そう思える瞬間的な動きなんだろうなと。手元にそれがないなら、すぐ送るよ:)そして手元に届いたそれは、使い物にならない・・・それでは、送った方も、受け取った方も残念な思いしか残らないみたいな・・・そうならないために出来る事:)意識するだけで、何かが変化していくのなら、それは、互いの成長の為の、大切な心の側面であり、互いにとって良き、きっかけになるのだと信じるアラキなのでした:)

20190713SAT@KTM 吉日

SocialWork  6

ソーシャルワークに携わる方達が、困っている現実について、少し触れておきたいと思います:)アラキがアメリカは、オレゴン州、ポートランドへ落ち着いてから20年になるのですが、1999年から、2000年という、西暦の区切り的な時期に居合わせていて、いろんな事が世の中へと加速しながら流れ込んでいた時期だと振り返ります:)

アラキが渡米した一番の目的は、スクールソーシャルワークを勉強する為でした。ポートランドで出会ったスクールソーシャルワーカーと実務経験をさせて頂きました。そこで、様々な現実を目の当たりにするのですが、ソーシャルワークには答えがない、ケースバイケースであり、どんな活動をしているのですかって聞かれても、なかなか的を得た返事が出来ない・・・そして、ソーシャルワーカーの最大の難題が、家族へ自分のやっている活動を説明する事が困難・・・なんて課題が現実問題として、立ちはだかるのです。

それで、この、ミレニアムな時期に、一冊の本が発売されました。それは、全米のソーシャルワーカーの方達が、たしか、50人かな・・・100人だったかな^^;ポートランドに本を置いてきているので、すぐに確認できないのですが・・・ポイントは、多くのソーシャルワーカーが、それぞれ取り組んでいるソーシャルワークについて書いているのです。人それぞれのソーシャルワークが紹介されている本だったりするのでした^^;どこにも同じソーシャルワークが存在しないと言うことと、これを読めば、家族にうまく説明する事ができない事情がより明確になり、説明がうまく出来なかったソーシャルワーカーの助けになるかなって本なのです:)

アラキも父親と母親に何度か活動のありようというか、要点を知らせた事があるのですが、父親は理解できなかったようで、そんな仕事は世の中に存在しないということで、切り捨てられました^^;これが、ま、現実かなと^^;母親は、保育園に園長という立場で長年関わってきた人なので、少しは理解してくれています:)

そんな訳で、ソーシャルワークという枠組があるとしても、その枠組におそらくはある種の共通点は確かに存在するのかもしれませんが、人の数だけ、そして、その人の選択肢の数だけ、枠組が存在して、さらに、その選択肢が無限に広がっている事を考えると、枠組も無限に存在する事になり、一点集中的に内容をかいつまむ事が困難な事は、少し理解してもらえるかもしれないなと期待しています^^;

ちなみに、時間もかかります^^;現在のアラキの関わっている、カトマンズのでの活動は36年計画で動いています:)毎年、36年計画という枠組で、子ども達に関わりを持たせてもらっています:)そんな、ダイナミックな枠組から、足下までの、幾重にも重なる広大に広がる無限に思える世界の中で、いろいろな事が響き渡るのです:)現実は、シビアなものが重なりあってくるのですが、その時々の瞬間に立ち会いながら、未来へと連なる関わりと響きを、どこまでも共に追い続ける事ができればと思うアラキなのでした:)

20190712FRI@KTM 吉日

SocialWork  5

社会参加という言い方をアラキはよくするのですが、その言葉が意味するところは、今貴方がいてくれているから、社会が成立していて、貴方が今ここにいるだけで、実は社会参加はすでに成されている:)そして、その事をより積極的に受け入れ、自らの心が、身体が動いて人々との関係の中において、互いに気づき、そして、その気づきを次の動きへと広げて行く:)そんな、イメージの言葉として、アラキはとらえています。

以前、大学の特別講座の中で、ソーシャルクリエーターという言葉使って、説明した時期がありました。それは、今ここに生きている全ての人々がそれぞれに相互関係の中において、社会を創造する一翼をになっているということ。つまり、どこにも無駄扱いされるような人々は存在しないという事を踏まえて、社会は1人1人が創造している現実世界であると言う意味合いを込めて使いました。

ともすると、差別的な対応を受ける人々が世の中にはたくさん存在していて、差別される側の人々がいなくなれば、世の中はさらに良くなる的な発想の方達が、未だに少なからず存在している事実の中で、全ての人々が小さな地球という星の上に、共存しているという事を、もう少し真剣に、見つめる機会になればいいなという想いもそこには込めていました。

アラキ自身も障害者というだけで、いろいろな罵声を浴びせられたり、指をさして笑われたり、障害者だねって切り捨てられたりと、障害ではなければ経験する事のできない、差別的な対応を幾度も体験しています。一方、多くの方達の温かい気持ちもたくさん頂いています。松葉杖で移動している時、電車の駅のホームで乗り継ぎの方達がたくさん走りこんできて、背中を押されたアラキはそのまま、階段下まで転がり落ちたのですが、アラキを突き飛ばしてしまった方達は、無事に電車に間に合いそのままいってしまいました。彼らの日常的な現実は、守られた事になります:)そして、階段を転がり落ちたアラキは、荷物が散乱してしまったのと、片足でうまく体勢を整える事がすぐにはできなかったので、呼吸を整えつつ、その場で座り込んでいました。そこへ、学生服を着た、5人ほどの男子の達がやって来て、アラキの荷物を全て拾い集め、大丈夫ですかって事をかけてくれながら、松葉杖も持って来てくれたので、なんとか、その事態をしのぐ事ができたなんて事がありました:)1つは、様々な人々の日常の中に紛れこんだアラキがその方達の導線からはみ出し、そして、それとはまた別な日常の方達に、助けてもらったという、2つの事が起きていたとアラキは思うのです:)そう、2つの別々の現実が、アラキと境に起きていた事になるのかなと言う事です。そう考えると、現実の中で起きている様々な事柄の背景には、それぞれの現実と、社会への関わり方があり、どれか1つだけの答えを出すことが出来ない事も、ここで、理解する事が出来るかと思うのです:)

社会参加のあり方と、現実の世界と、それぞれの想いと、起きている事への他の方達の興味関心と、複雑に絡み合ってそれぞれが、社会参加しているのだということかなと思うのでした:)

いろいろな事を考えて行くと、それこそ、迷路のような事になるのかなと思うのですが、そんな、日常の中で、社会に関わりを持ちながら生きているって事を少し意識して生きて行くだけで、眼の前の世界が少し違ってみえてくるかなということなのでした:)人生には答えは存在しないって事になるのですが、だからこそ、人生は面白いのかもしれないなと、ふと思うアラキなのでした:)

20190711THU@KTM 吉日

SocialWork  4

その先にあるもの:)なんて問いかけで少し今を見つめる事:)そうすると、今ここでの出来事が、今ここにいる方達にその先でどのような可能性が生まれてくるのかと言うこと、つまり少し先の未来の可能性に触れながら、今ここを生きているという感覚だと思うのですが、これ、アラキ的なソーシャルワークの解釈の一側面だったりするのでした:)

今ここで生きている方達と、その方達の生活している生きている場所で、少し先の未来の可能性を模索しながら、さらに今ここでの可能性の扉を増やしてくようなイメージ:)この感覚が、日常生活の中で、それこそ日常的な感覚になると、人のそれぞれの関係において、それぞれの相乗的な成長がさらに広がりをもって、未来への可能性が幾重にもかさなり、その事が今をわくわくしながら、生きていけるということにつながって行くと思うのです:)

なんて事が、少しでも、いろんな方達の生きるのヒントになり、その方達の関わる方達のその先にある未来へと送り届けるというか、響き渡る事ができれば、それは、なんだろう、適切な言葉を見つける事ができないアラキなのですが、きっと、素敵な事だなって思うのでした:)

さて、気合・気愛で、555!!!なのでした:)

20190711THU@KTM 吉日

SocialWork 3

自分達が、今ここに生きているという現実をどのような視点から、日常生活の中で、意識する事ができているのかって事が、結構大切な事だとアラキは考えていたりします:)自分の足下を見つめて、自分が立っているまわり、空間を認識して、その空間で起きているだろう様々な科学反応というか、起きている事柄の中に自分もいると言う感覚というのかな・・・そんな事をふと、様々な現実の中で、瞬間瞬間、本当にほんのちょっとの隙間で、それらの思考と、視点と、空間と、引力と、風景などなどから、自分の行動を自分で決めている:)つまりの自分の生きているは、自分が決めて、その自分の意志に従って、最終的には成立しているって事だと思うのです:)

そんな事を風景のように見渡しながら、足下を見つめて今をどのように生きるのかって事を常に意識化することが出来れば、もっとまわりとの関わりや、自分が社会に生かされているって事が身近なものになり、ギクシャクとした社会から、風通しのよい社会へと、コミュニティー全体が成長していく事ができるのではないかなと、思うのです:)

SocialWorkの醍醐味はまさに、そうした世界観かなとアラキは考え、今日まで活動をしてきているのですが、もちろん、これには答えはありません^^;その時、その時々で、ベストを尽くすのみなのですが、集中力とそれを支える体力と、筋力に感謝しながら、今日も気合・気愛で、555!!!なのでした:)

20190710WED@KTM 吉日

SocialWork 2

ソーシャルワークという言葉が、広く世の中に浸透しているのか、あるいは、ごく一部の方達の所で、深く浸透しているのか、実の所、現状どのような形で、受け入れられているかと言うことについては、計り知れないのですが、おおよそ、多くの方達が、一度は聞いた事がある言葉ではないかなと、期待しているアラキなのでした:)

ソーシャルワークという言葉がいつ生まれたかについては、勉強不足で、アラキはしらないのですが、この働きを定義して、社会参加する為に必要な諸々に対して、サポートするという事を専門的に行う方達が登場して、その働きは、実社会の中で機能し、様々な分野に細分化されながら、現在に至るという事だそうです:)

実に、100年以上前の話になるのですが、アメリカの工場地帯で起きた社会的に機能する専門的な取り組みと言うことになります:)細分化される中で、労働者や家族、そして、子どもという形でその歴史をきざんきているのですが、特に、ソーシャルワークの概念が生まれて社会的に機能し始めた翌年には、スクールソーシャルワークが誕生しています:)

未来を担う、子ども達を守らなければという意志が、その当時すでに、社会の中に息づいていたことを垣間見る事ができるのでした:)

20190708MON@KTM 吉日

SocialWork

ソーシャルワークという言葉は今日、日常的な言葉になっているのではないかと、思うのですが、いかがでしょうか?アラキが携わってきた、教育の場であったり、地域のコミュニティー、社会生活全般に関わり、その言葉の意味する範囲の広さには、ルールがないのかなと、アラキは感じています。公教育の場を去ってから、20年、様々な場所で、様々な人種、環境、性別、障害などの有無などの枠組を越えた所でのコミュニケーションにおける人と人との関係生のあり方1つ1つが、社会を変容させて行く原動力であり、社会的な責任の所在を強く意識させてくれる場であり、これからもそれは継続されていくのだなと、実感しています。それら、全てを包括して、ソーシャルワークかなと:)そして、コミュニティーの成長に関わり、個人もコミュニティーも共に、ゴール無き成長の過程で未来へと進んで行くのだと強く信じています。アラキの哲学、”Daily life and every small thing is the gate to the universe : )”は、そんな想いのほんの一部を代弁してくれてもいるのです。

さて、ここでは、アラキの活動が多岐にわたるのですが、それは、多岐にわたるように見えながら、実は、たった1つの事しかできていないって事を説明する為に出来たページかなと、書きながら思えるアラキなのでした:)難しい事が世の中には、あふれているのですが、実はシンプルであり、それを複雑にしているのは、人そのものであり、そこの呪縛から、解き放たれる為にもがいている感じでもあります^^;
そんな、アラキ的な発想の一部をここで、お伝えする事が出来れば嬉しいと思うのでした:)よろしくお願いいたします:)
20190702TUE@KTM 吉日

※当サイト内のテキスト、写真画像、音源、他全ての内容については、KOJI ARAKI Art Worksの著作物になります。無断転用、無断転載、無断使用、無断引用等の行為は固くお断りしています。ご理解の程、よろしくお願いいたします。

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