■九眼天珠
上記の写真は、アラキが日頃身につけている九眼天珠です。
■天珠の歴史
天珠と言われているビーズは、チベットで使われて来たビーズとなります。その歴史、製作方法など、謎な部分も多いのですが、現在でも多くの方達を引きつけてやみません。第二次世界大戦後、中国によるチベット侵攻時、多くの寺院、文化が破壊され、多くのチベット民族の方々も殺害されました。多くの貴重な天珠もその姿を消しました。しかし、破壊を免れ、保護されたものが大切に受け継がれ、その一部が、マーケットに出回りました。その事が、世界の人々の興味関心を引きつけるきっかけとなりました。今日、中国や台湾等で、天珠が作られています。原石等は、別のものになりましたが、チベット天珠のデザイン等を受け継ぎ、新しい世代の天珠として、世界マーケットを牽引しています。
では、中国侵攻以前に作られ、そして、チベットで信仰されていた天珠は、今どのような道をたどっているのでしょうか?多くは、世界の博物館や、一部裕福なコレクターにより、収集され、また、一部は、大切に心有る方達の中で、密かに受け継がれています。しかし、チベット人が難民となった事から、天珠を手放し、渡航費用や生活費にする方達が後を絶たず、受け継がれてきた大切な天珠も、今日ではなかなか、触れる事が難しい現状になっています。
以前、お釈迦様が生まれたルンビニという土地を訪れた時、釈迦王国跡地の入り口にある博物館で、そこから出土した天珠が展示されている事があり、大変驚いた事を覚えています。又、天珠の原石はヒマラヤンカルセドニーという、乳白色の岩石なのですが、それが古代モロッコへ運ばれ、そこで、天珠のとある種類が作られて、再びチベットへと、帰っている事もわかっています。その他、赤い原石、玉兎と言われている天珠もあります。
今から、3000年程前のあの地域の方達の交易の様子が、これらのものの動きで、少し見えて来るような気がするのです。シンギングボールも、3000年程前のチベット王国からからのオーダーがきっかけとなり、今日にいたるという話を釈迦王国から続く、製作を行っている一族からも直接彼らから聞かされています。かなり広範囲で、物流があった事がうかがえます。
そんな、天珠の一部が、縁あって、アラキの手元にも来ています。中国チベット侵攻後の混乱するチベット難民の方達との交流を通じて、貴重な天珠を守った方がいます。彼は、中国人ですが、キリスト教信者であり、チベット難民の方達を保護、支援して来た方です。様々な出会いの中で、彼の手元で大切に守られていた天珠が、より安全な日本へと、全てがアラキの師匠の元へと送られ、大切に、厳重に保管されています。
アラキの手元に来ているものは、その一部なのですが、チベット由来の方達の為の活動の糧になるのであれば、使って欲しいと言うことで、手元に来ている天珠達です。現在カトマンズで、ヒマラヤ山系から、事情があって身を寄せ合っている施設の子ども達の多くは、チベット民族となります。ヒマラヤ山脈を越えて、亡命して来た事も達もいます。天珠を使ったパーツの売り上げは、全てその施設に居る子ども達の活動へと還元しています。
しかし、数に限りがあり、手元から無くなると、終了となります。もしも、そのような流れで、日本に来た天珠を身につけたいと思われる方がいましたら、利用して頂けると嬉しいです。本来、出会った方達と、直接やりとりをしながら、ブレスレットや、ペンダントなどを製作してきましたが、世界的な感染症の影響により、今後の動きに少し変化が求められるという背景から、今回ページを新設させて頂きました。
一部、アラキの天珠や、実際に購入して頂ける天珠など、数に限りはありますが、このページにて紹介して行きますので、参考にしてもらえればと思います。
KOJI ARAKI Art Works
20240425THU
■三眼天珠
上記の写真は、アラキが日頃身につけている三眼天珠です。
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